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東京地方裁判所 昭和52年(タ)204号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人

小玉聰明

同訴訟復代理人

北郷美那子

被告

甲野乙男

被告

甲野乙子

右両名訴訟代理人

下光軍二

主文

一  原告と被告らを離縁する。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告は、昭和二三年四月四日、訴外A男、B女の三女として出生したが、A男の実妹である被告甲野乙子(大正八年八月一五日生)(以下「被告乙子」という。)同乙男(大正七年二月一五日生)夫婦には子供がなく原告を養女にすることを望んだことから、当時八才余の原告は、同三一年一〇月一日、実父母の代諾により被告ら夫婦と養子縁組をした。

2  原告は、昭和三一年以降被告らと同居生活を始め、被告ら養父母のもとで高校、短期大学を経て早稲田大学夜間部を卒業し、原告と被告らとの養親子関係は、昭和五〇年に至るまではさしたる問題はなかつた。

3  原告は、昭和四八年一一月頃友人の結婚式に出席した際、高校の級友であつたC男と再会したことから、以後同人と交際をするようになり、原告からC男に対し原告が養子であるなどの家庭事情をも打明けていたところ、同五〇年六月六日C男から原告に対し結婚を申し込まれたので、原告は右結婚の申し出を承諾し、二人は、お互いの親を説得しようと話し合つた。

4  そこで、C男は、同年六月二二日被告方を訪れ、被告らに対し原告との結婚の同意を求めたところ、被告乙男は、C男に対し同人の勤務先及び家族関係などを尋ねたうえ、「自分達には子供がいないので原告を嫁にやるわけにはいかない。もし結婚したいのなら、甲野の姓を名乗り、東京に住んでほしい。」と答えたため、C男としては、名古屋市食肉衛生検査所に勤務し、またC男家の長男であるなど(姉二人は既に嫁いでいた)、にわかに被告らの右条件を受け入れることが困難な情況にあつたので、結論を得ないまま被告宅を辞した。

5  原告は、同年七月初旬C男との結婚問題について被告らと話し合つたが、被告らは、「二〇年間養子でありながら出て行くのは裏切り者である。」などと原告を非難し右結婚に同意を与えないばかりか、C男の母に対しお宅の息子が娘を誘惑して困る、お宅の息子は財産目当てだなどことさらC男と原告との結婚を妨げるような内容の電話をかけ、同月一七日には、以前に示した原告と結婚するための条件を受けいれるかの否かにつきC男から返答がないとして、原告の意思を無視してC男に対し右結婚の申出をことわる旨の手紙を出した。

6  しかし、その後も原告とC男は、依然として交際を続けていたため、被告らは非常に心配し、同年七月二三日頃原告の実家を尋ね、実親に対し原告にC男との結婚をやめるよう説得してほしいと申し入れ、更に同年八月六日には、C男の勤務先を尋ね、右勤務先の所長に面会を求めてC男に原告との結婚をやめるよう忠告してもらうことを依頼した。のみならず、被告らは、同年九月二日頃C男の母宅を尋ね、C男から結婚の申し出を受け大変迷惑している旨を強く申し入れ、同年九月一八日には甲野の姓を名乗つてもよいという男性と無理矢理原告を見合させた。

7  原告は、被告らからこのようなことをされたため一緒に生活することが苦痛になり被告らと離縁することを真剣に考えるようになり、他方、C男も原告に対し被告らの家から出てほしい旨の希望を述べたこともあつたが、右両名は、なおも原告が被告らと離縁せずにC男と結婚できるよう努力しようと話し合つた。

8  昭和五〇年一〇月頃C男の母が交通事故にあい入院したため、右両名はしばらくの間静観していたが、翌五一年一月、C男は、退院した母を説得し、原告がC男姓を名乗るのであれば原告を迎え入れる旨の言質を取つたので、同年二月二二日被告らを訪れ、被告らに対し「何かあつたときは二人で飛んで来るし、原告も来させるから結婚させて下さい。」と頼み込んだところ、被告乙男から財産目当てであろうなどと甚だしく侮辱されたため、被告らに対し抜き去り難い不信感を抱くに至つた。

9  原告は、被告らがC男との結婚をあくまで阻止しようとしているうえに、C男を右のように侮辱したり、原告の勤務先まで訪れて原告の動静をさぐり、上司に原告の監督を頼んだりなどしたことから被告らに対する不信感を強め、被告らとの離縁を決意するに至つた。その後、原告はC男の伯父のD男から被告らと離縁して結婚するならC男の方は喜んで迎い入れるといわれたことや原告の実家が被告らと離縁することもやむをえないと許してくれたことから、昭和五一年五月一七日頃被告方を出て実家に帰つた。以来原告は、今日に至るまで実家で生活を続け、被告らとは別居状態にある。

10  その後原告は、昭和五一年六月二七日原告の実母や伯父、叔母などを交じえて被告乙子と話し合つたものの、被告乙子はC男との結婚をやめて戻つて来てほしい旨を述べるにとどまり、何ら事態の解決をみるに至らなかつたため、同年八月一九日、原告の実家を通じて被告らに対し正式に離縁を申し入れたが被告らから拒否された。その前後にわたり原告やその実母らは、何度となく被告らと話し合つたが、問題の解決をみなかつたばかりか、かえつて、原告やその実家は、被告らと対立を深め反目し合うようになつた。

11  原告は、昭和五二年二月東京家庭裁判所に対し被告らを相手方として離縁の調停を申し立てたが不調に終つたため本訴を提起するに至つた。被告らは、本訴において原告の結婚問題につきやや弾力的な態度を示し、同女との縁組の継続を望んでいるものの、原告の離縁意思は強固である。また、C男及びその実家は、被告らに対し抜き去り難い不信感を抱いており、C男は原告が被告らと離縁するまでは原告と結婚しない旨を言明している。

以上の事実が認められ、〈る。〉

二そこで、前記認定の事実関係に照らし原告と被告らとの養親子間に民法八一四条一項三号にいう縁組を継続し難い重大な事由が存するか否かにつき検討する。

前記認定のとおり、原告とC男が結婚を申し出た際に、幼少のころから二〇年間養子として大切に育て上げた原告が自分達の手元から離れようとすることに被告らが少なからず動揺したであろうことはそれなりに理解できないものでもない。しかしながら、被告らは、さしたる高齢ではなく、原告との同居がなくてもさしあたり自分らの生活を十分維持できるにもかかわらず、若い二人の幸わせを祝福しようとする寛容さに欠け、頑くなに右両名の結婚に反対しつづけるばかりか、原告やC男の各勤務先及び実家を訪れるなどして積極的に右結婚を阻害する行動をとり続け、更に将来原告の夫となるべきC男の人格に対する侮辱的言動に出たことは、余りに頑冥かつ自己中心的態度であるといわざるを得ず、そのために、原告が被告らに対し強い不信感を持つに至つたことは首肯することができるし、原告は昭和五一年五月一七日以来約三年半にわたり被告らと別居状態にあつてもはや感情的にこじれきつており、全く親子としての接触を欠いていること、被告らは原告との縁組の継続を望んでいるものの、原告の離縁意思は強固であること、C男及びその実家は、被告らに対し抜き去り難い不信感を抱いており、また原告の実家も被告らと反目を強めているなかで、原告に被告らとの縁組を維持させつつ、C男との結婚生活を強いることは、将来にわたり余りに多くの精神的苦痛を負わせる結果となることなど、諸般の事情を総合勘案すると、原告と被告らとの養親子間には縁組を継続し難い重大な事由が存するものというべきである。

三よつて、原告の本訴離縁の請求は、理由があるからこれを正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を各適用して、主文のとおり判決する。

(牧山市治 古川行男 滝澤雄次)

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